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和倉温泉の共浴場は、寛永18年(1641)に海中に湯島を築いて浴舎を造ったのが総湯の始まりと言われています。明治13年(1880)、和倉鉱泉営業組合が湯島までを埋め立て現在の総湯の基礎をつくりました。その後、明治32年に初代、明治41年に2代目、昭和29年に3代目、昭和40年に4代目、昭和53年に5代目、平成9年に6代目を経て平成23年に現在の総湯となりました。昭和29年に開湯した3代目からは、場所をそれまで湯元に建てられていたのを現在地に移築しました。尚、3~4代目の共浴場を当時「さぎの湯」と名づけましたが、「さぎ」の2字が「詐欺(さぎ)」に通じることから名称の変更を余儀なくされました。4代目からは芸能も楽しめる和倉温泉センターを並列したさぎの湯でしたが、5代目には「温泉センター」と名称を統一しました。6代目からは現在の「総湯」の名称で親しまれるようになりました。また、明治42年9月に東宮殿下(後の大正天皇)が和倉温泉を行啓された記念として建立された「曽経東宮殿下台覧之温泉」の石柱は、当初は現在の湯元ロータリーに建てられていましたが、移動の際折れてしまったため代わりの石碑を設置することとなりました。題字の揮毫は、当時荏原製作所の会長で能登畠山家の末裔でもある畠山一清氏に依頼しています。現在の総湯では、前広場で足湯や温泉たまごのほかに、獅子舞やよさこい踊りなど季節ごとのイベントなども楽しむことができます。
曽経・・・かつてまたは、これまで


(左:初代総湯「共浴湯」と呼ばれていた)(右:現在ロータリー前に置かれている「東宮殿下台覧之湯」の石碑)


(左:初代総湯明治32年~向って左側の石柱に「里程標石川県鹿島郡端村字和倉」の文字が確認できる。)
(右:2代目総湯明治41年~)


(左:3代目総湯「さぎの湯」昭和29年~乾板写真に彩色をおこなったもの)
(右:4代目総湯「和倉温泉センター」昭和40年~和倉温泉合資会社提供)


(左:5代目総湯昭和53年~)(右:6代目総湯平成9年~和倉温泉合資会社提供)

(現在の総湯平成23年~現在)(右:4代目総湯「温泉センター」のチラシ【和倉温泉合資会社提供】)
和倉温泉旅館協同組合長・和倉温泉観光協会長などの要職を歴任し、平成12年に他界された大井昭平氏が平成7年当時作成したパネルを加工したものをご紹介します。
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