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更新日:2024年4月17日

史跡七尾城跡

七尾城本丸駐車場から七尾城調度丸までの区間について、安全確認が取れたため開放いたします。

県道城山線が通行可能です(大型バスも可)。

本丸駐車場のトイレは使用できません。登山口駐車場のトイレをご利用ください。

本丸駐車場から見た市街地

↑本丸駐車場から見た市街地

遊歩道から見た本丸石垣

↑遊歩道から見た本丸石垣

調度丸から見た石垣

↑本丸駐車場から見た石垣

 

その他の区間については、立ち入らないようお願いいたします。(令和6年能登半島地震の被害を受けており、危険です。安全確認がとれ次第、ホームページでお知らせします。)

[被災状況写真]

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トピックス

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ふもとから歩いて登られる方へ

七尾城登山口駐車場(駐車料金無料、トイレあり)をご利用ください。

登山口駐車場から本丸駐車場までは徒歩で約午前1時間です。途中にトイレはありません。

雨により登山道の土が流され、転びやすくなっている箇所があります。注意して通行してください。

七尾城の概要

七尾城跡は、能登国の守護・畠山氏(1408-1577)が16世紀前半(戦国時代)に築いた城館跡で、全国でも屈指の規模を有します。石動山系に築かれた城域は南北約2.5km、東西約1.0km、面積は約252.6haにおよび、一帯は「城山」と呼び親しまれています。

山上から山麓までの自然地形を巧みに利用し、七尾の地名の由来となった七つの尾根筋を中心に多数の曲輪(屋敷地)を連ね、山麓には城下の町並みが形成され京風の能登畠山文化が華やぎました。

天正5年(1577)の上杉謙信の攻撃によって落城、169年にわたる畠山氏の領国支配の幕が閉ざされました。落城後の七尾城は、一時、上杉方が入り、その後、天正9年(1581)に織田信長から能登一国を与えられた前田利家が入城します。天正10年(1582)から17年(1589)頃に、港に近い小丸山での新たな築城により、七尾城は城としての機能を失うこととなりました。

七尾城本丸

七尾城本丸CG

七尾城本丸

七尾城本丸CG

遺構の概要

本丸からは七尾湾や能登半島が一望できます。本丸の標高は305m、城下が50mで山上と城下の比高は約250mあります。

 

 

七尾城本丸からの風景

 

 

七尾城本丸からの風景

城の状況

七尾城は能登畠山氏の居城で、能登の政治、文化の拠点として機能しました。築城時期は明確ではありませんが、各地の有力大名がその拠点を山城に移す16世紀前半頃には能登畠山氏も遅れることなく、七尾城を築き支配体制を固めたと考えられます。

府中の守護所(現在の市街地付近)から南東約4kmの石動山系の要害に「七尾城」、その麓に城下町「七尾」を築いて、山上山下が一体となる新しい拠点を形成し、一元的な大名支配を目指しました。こうした能登畠山氏の拠点の移動は、守護大名から戦国大名への変貌を遂げようとした能登畠山氏の変革を物語るものとして位置づけられます。

桜馬場

往時を偲ぶ石垣(桜馬場(さくらのばば))

能登畠山氏

足利氏一門の有力武士で、越中の守護を務めていた畠山基国が室町時代の初めの明徳2年(1391)に能登の守護に任命され、その後、河内、紀伊の守護も兼務しました。応永5年(1398)には室町幕府の管領に起用され、斯波氏・細川氏と三管領の一つとしての地位を築いています。

能登畠山氏は、基国の次男・満慶が、治めていた四か国(河内・越中・紀伊・能登)のうち、応永15年(1408)に能登国のみの守護となったことをはじまりとします。当時、守護は在京し、領国では守護代の遊佐氏が府中の守護所(現在の市街地付近)で政務にあたっていました。

応仁・文明の乱(1467-1477)後の文明10年(1478)に、守護・畠山義統が能登に下向、在国し分国経営の基礎を固めました。3代義統、7代義総のとき、領国支配は安定し、公家や歌人などの多くの文化人が、都から七尾に訪れました。府中の義統邸や七尾城内の義総邸では、たびたび和歌や連歌の会が催されました。賦何船連歌(県指定文化財七尾市蔵)
文明15年(1483)賦何船連歌(県指定文化財七尾市蔵)

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保存活用

史跡七尾城跡保存活用計画策定フォーラム

平成29年12月10日の公開フォーラム「七尾城跡航空レーザ測量図から探る七尾城の実像」を報告書にまとめました。

実施報告書

表紙~1フォーラム編(52頁)1(PDF:5,660KB)

2資料編(53頁)~奥付2(PDF:6,698KB)

七尾城本丸からの景観復元

国史跡「七尾城跡」の本丸跡からの眺望は、戦国武将の上杉謙信が絶賛したことで知られ、七尾城跡の魅力の1つです。しかし、近年は明治期に植林されたスギが生い茂り、景観を遮っていました。

平成30年3月に策定された「史跡七尾城跡保存活用計画」に基づき、自然との調和を図りつつ、本丸駐車場から調度丸に至る遊歩道のスギ54本を剪定し、七尾南湾や能登島を一望できる往時の景観を復元しました。

剪定後の景観
剪定後の景観

剪定後の景観
剪定前の景観

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整備活用

保存活用計画策定後、速やかな整備活用事業を目指し、今後の具体的な整備活用の方向性を示す「史跡七尾城跡整備基本計画」を文化庁や石川県の指導の下で策定しました。

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よみがえる戦国の名城七尾城

広大な七尾城跡の全体像をCG(コンピュータグラフィックス)で作成した映像を紹介します。

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七尾城跡保存活用推進室年報

七尾城跡保存活用推進室では取組活動を総括し、年報としてまとめています。

令和元年度

平成31年度

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フォトギャラリー

最近の七尾城跡の様子をお知らせします。

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遊歩道にはチップが敷かれ歩きやすくなっています。

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令和2年度調度丸での発掘調査の様子。令和3年度も継続して調度丸で発掘調査を行います。

 

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七尾市観光ボランティアガイド「はろうななお」によるガイドが行われています。

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ふもとから登山される場合は七尾城登山口駐車場をご利用ください。

 

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お問い合わせ

所属課室:教育委員会スポーツ・文化課

石川県七尾市袖ケ江町イ部25番地

電話番号:0767-53-8437

ファクス番号:0767-52-5194

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