ここから本文です。
大正10年頃から昭和15年頃にかけ、和倉の埠頭からモーターボートによる湾内周遊の遊覧船が出ていた。もちろん、浴客サービスのもので四隻あった。この遊覧船は必ず衝立島へ回った。当時和倉に遊びにくるだんな衆はこの船に芸者を乗せ酒や食べ物を積み込んで豪遊。衝立島あたりから、風に乗って海上から伝わってくるにぎやかな三味線や太鼓の音が聞こえたものだという。奇岩が海上に浮かんだ形の同島をめでながらの船遊びは、今では想像も及ばない風雅な情景だったに違いない。(昭和56年発行「わくら物語」引用)
(左写真の左に見える岸壁は屏風崎か?)(右反対方向から撮影されたものと思われる)
(左「衝立島」・「対立島」写真によって複数の表現あり)
(右写真右側に「とふ鳥の往来や橋の波かくれ」狐量(か?)
(左左右の岩の間に風化・浸食により空洞が見受けられる)
(右写真上部に「風光美はしき(麗しきか?)和倉より見たる立衝巌と能登島の遠望」)
注意:衝立岩と立衝巌が同一のものかは不明