弁天崎
- 文化14年(1843)の郡方調書に「温泉島より30間沖に弁天島これあり。長さ10間、幅5間程とあり。(「能登志徴」より)
- 和倉温泉にあり、奇岩怪岩より生り亭々たる老松の下弁天祠ありて和倉の一名勝たりしが近年海を埋め今は島の俤(おもかげ)を存せず。(「鹿島郡誌」より)以前は弁天島であったが、明治13年(1880)に湯島までを、その後明治41年(1908)には弁天島までを埋立、以後は弁天崎公園となる。現在は、弁財天を祀る弁天社を中心に「家持の妻恋舟か春のうみ」の高浜虚子句碑や「宇た人の国守巡り見し日にも山きよらに海志つかなりけむ」佐佐木信綱歌碑、貫名海屋(ぬきなかいおく)漢詩碑、大龍源四郎・都石吉松碑など数多くの石碑があり散策の際には楽しまれてはいかがだろうか。
(左:能登和倉弁天島)(右:能登和倉温泉 弁天嶋ノ景)
(左:弁天崎埠頭 右側に「岸の波よせてくたきて鳴く千鳥」芳鶏とある。)
(右:翠松影深き弁天崎の風色「温泉の旧源地」)
(左:中央に馬が水浴びをしている。その奥に埠頭が見える。)
(右海上に蒸気汽船が、右側にブロック状のもの(煉瓦?)が確認できる)
《弁天崎公園》
昭和42年(1967)11月、宮城県金華山より4頭の鹿を譲り受けた。当時は和倉名物として観光客や地元住民に愛されたが、泣き声、動物臭などの苦情が出始めたため、希望者へ預託された。